理論神経科学入門してみる

理論神経科学に個人的に期待すること

※本稿は総研大アドベントカレンダーに寄せて書かれました。

本稿での理論神経科学の位置づけ

本稿では、総研大で神経科学を学ぶ大学院生として、きわめて個人的な視点から理論神経科学について述べたいと思います。

最初に断っておくと、ここで用いる「理論神経科学」という語は、本稿独自の広い意味で使っています。理論神経科学に限らず、計算論的神経科学・数理脳科学など近い言葉にも厳密な定義はなく、その境界は曖昧です。(一説には、著名研究者がどの用語を使っていたかという“流儀”によって区別されるともいわれます。)
そこで本稿では、これら近縁分野を含めた広義の概念として「理論神経科学」を用います。もし神経科学にあまり馴染みがなければ、「物理学のように実験と理論があり、その理論側を指す」といったイメージで読んでいただければ十分です。

理論神経科学の数理的な面白さ

神経科学(脳科学)は非常に学際的で多面的な学問です。理論神経科学に範囲を絞ってもその事情は変わりません。個々の理論的主張は、物理学・情報科学・数学といった数理科学の言葉を借りて記述されます。そのため、全体像を理解しようとすると複数分野を横断して学ぶ必要があり、一見すると敷居が高いように思えます。

しかし実際には、むしろ異分野からの参入が歓迎されやすく、元の専門知識を武器に神経科学の研究に取り組む例が多く見られます。神経科学は、外部の学問に対して非常に開かれた領域ともいえるでしょう。

異分野から参入する利点として、以前学んだ分野の知識を理論神経科学に持ち込むだけで、研究の先駆者になれる可能性があることが挙げられます。たとえば量子論や量子計算のように物理学では体系化されている分野でも、脳の情報処理へ応用しようとすれば新たなフロンティアとなりえます。実際、量子論的な観点から脳を理解しようとする試みはごく最近になってようやく現れ始めたばかりです。このように、異分野の視点が理論神経科学に新しい道を拓く可能性は非常に大きいと感じています。

また、研究を進める中で、元々のバックグラウンドとは無関係と思っていた数理分野と神経科学の間に意外な接点を見出すこともあります。これは神経科学だけでなく、自分の専門分野の発展にも寄与しうる“一石二鳥の喜び”があります。そして何より、自分が学んできた領域を捨てずに、新しい分野を切り拓ける点が大きな魅力です。神経科学は、異なる学問同士が思わぬ形で出会う稀有な領域です。

個人的に期待すること

ここまで理論神経科学の魅力ばかり述べてきましたが、大きな課題も存在します。私が特に気になっているのは、「理論神経科学全体の統合」という問題です。

先述の通り、理論神経科学は非常に開かれ、多様なバックグラウンドを持つ研究者が参加しています。多くの研究者は、自分の専門分野(例:物理学なら統計力学や力学系理論)が神経科学全般の理解に資すると暗に仮定して研究を進めています。ここで自然に生じる疑問は、

「研究者それぞれが異なる前提を持ったまま研究して、本当に脳を統一的に説明できるのか?」

という点です。学問として未成熟な段階では大きな問題にならなくても、今後成熟していくと、ひとつの脳内現象に複数の理論的説明が並立する状況が頻発するようになるでしょう。(すでにそうなりつつある例も多くあります。)

では、もし研究コミュニティに「理論神経科学を統一しよう」という機運が生じたとき、どのような方向性がありうるのでしょうか。私は大きく二つのストーリーが考えられると思っています。


Story 1(単一分野型)

各研究者が自分の専門分野の立場を強く押し出し、最終的に“脳を最も広範に説明できる理論(学問体系)”が標準ツールとして採用される。

Story 2(分野横断型)

理論神経科学を構成する各数理分野のあいだに理論的な等価性や関係性が見出され、それらを“つぎはぎ”した結果一つの体系として接続される。


どちらが良い・悪いということはなく、互いに補完的な関係にあると思います。いずれも統合に成功する確証がなく、どちらも進めておくのが健全だからです。そして最終的にこの二つに収束するとも限らず、その中間に落ち着く可能性も十分あります。

私自身は、Story2に貢献できる研究者になりたいと考えています。理由は、Story2は“理論神経科学者にしかできない仕事”だからです。世の中には物理学者・情報科学者・数学者として脳を研究する方が多数おられ、その姿勢は必然的にStory1を後押しします。つまり、Story1は神経科学者が意識せずとも自然に進展する側面があります。一方のStory2は、複数分野をフラットに眺める意識的な努力が不可欠で、神経科学の内部から働きかけなければ進まないと私は考えています。

最後に、個人的な“妄想”で文章を終わりたいと思います。

本音を言えば、私はStory1とStory2のどちらも“裏切られる”未来を見てみたいと思っています。どちらのストーリーも既存の数理科学を前提としていますが、もしそれらではどうしても説明できない現象があり、それを乗り越えるために“脳に特化したまったく新しい理論”が生まれ、それが統一理論になる——そんな展開が最も面白いのではないか、と今は感じています。

終わりに

まとまりのない文章にもかかわらず、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。少しでも神経科学の魅力が伝わっていたら幸いです。

※本稿は筆者の個人な意見であり、所属機関を代表するものではありません。